「まちがったベジタリアン」?
ベジの人の中には、すっごくこだわりが強い人、使命感が強い人なんかもいますよね。
「ゆるベジが嫌いです」、みたいな。
でも、そういう考えだったり、ベジをはじめてみようかな、やってみようかなと言う人を批判するようなことが、ますますベジを非現実的で難しそうなものにしているのではないかなと思います。
ベジタリアンは人々の立場によって細かく分類されています。
ヴィーガン、ラクト・オボ・ベジタリアンなど。その中にも宗教的な理由やマクロビ的な理由で、特定の野菜がだめとか、いろいろあります。
そもそも、ベジタリアンの定義もあいまいだったりします。
このような違いがあるのは、ベジタリアニズムが個人的実践であり、集団実践ではないからです。
ベジの人を「変な宗教っぽい。気持ち悪い。」と言う人もいます。
でも、集団実践の宗教とは違い、ベジタリアンは自分の倫理観によって自分のやりたいようにやるのが基本なのです。ベジタリアンは信仰の有無にかかわらず行うものです。
(宗教を否定しているわけではありません)
だから、誰かが他人にとやかく言えるものではないはずなのです。
ベジタリアンは倫理に基づいた主義主張でありライフスタイルの選択。
「まちがったベジタリアン」とか「正しいベジタリアン」なんてないのです。
他人に押し付けるものでもありません。
人に勧めるのは、自分がいいと思っていることだから。
押しつけと感じるのは、そこに認知的不協和が発生しているから。
(認知的不協和についてはまた次回。)
ベジの人たちは、基本的に平和主義だと信じています。
平和にベジライフを送りましょう。
参考
田上 孝一(2017)、『環境と動物の倫理』、本の泉社、第六章:ベジタリアニズムの核心と可能性